その日、じいちゃんの生き様をみた。

「祖父危篤」との連絡を受け、本日急きょ函館までやってきました。

入院しているじいちゃんの病室に入ると、思わず言葉を失ってしまいました。

以前のじいちゃんとはまるで別人で、体はミイラのようにやせ細り、呼吸も荒くてかなり苦しそうで、眼の焦点は定まらず、体中に色んなチューブや機械をつけていました。

断続的に無呼吸状態になり、それを知らせる警告ブザーが鳴り響いていました。

顔の筋肉も衰えているので、うまくじゃべることができず、代わりに苦しそうにうめき声をあげていました。

 

まだ死んだわけでもないのに、なんとなく悟りました。

もしかしたら生きて会えるのは今日が最後かもしれない、って。

 

 

 

前回じいちゃんと会ったのは1か月ほど前でした。

ちょっと遅くなった正月挨拶もかねて、片道700kmを車走らせ、祖父のいる函館まで会いにいきました。

その時は自宅療養中でしたが、ちゃんと会話もできてたし、自力で歩くこともできてたんだけど…。

「じいちゃん久し振り、会いに来たよ」

「おお、よくきたな」

いつものように言葉少なに返すじいちゃん。

僕のじいちゃんは、函館市内ではそこそこ名の知れた会社の会長で、戦後に今の会社を立ち上げ、後にたくさんの社員を抱えるまでに成長させた経営者です。

他人にも自分にも厳しく、几帳面で合理主義、話す言葉も必要最低限。

そんなもんだから「さくらともぞう」のような、世の一般的な優しいおじいちゃんのイメージとは対極にあるような人でした。

勉強熱心で、頑固で、寡黙で、愛情表現がヘタで、愛国心があって、屈強な精神を持ち合わせた鉄人のような人でした。

 

 

 

そのじいちゃんが僕の目の前で猛烈に苦しんでいました。

 

意識はあって思考もしっかりしていて耳も聞こえているので、こちらの話していることは理解できているようです。

ただ顔の筋力が衰弱しているので、うまくしゃべることができない。

何か伝えようとして、じいちゃんは一生懸命しゃべるんですけど、そのほとんどを理解してやれない。

心拍は常に100以上。担当の先生曰く、これはずっと休みなくマラソンしている状態と同じらしい。

そして、そのうち吐血するんじゃないかと思うくらい苦しそうに咳き込む。

さらに断続的に無呼吸状態になって意識が遠のきそうになる。すると僕ら家族に体をさすられて現実に引き戻される。

こんな状態が四六時中続いてます。

 

正直、こんなに苦しい思いをさせるならいっそのこと楽にしてあげたい、って思いました。

 

そんなやりきれない気持ちに押しつぶされそうになっていた時、じいちゃんが急に僕の名前を呼びました。

そしてまだこんな力が残っていたのか、と思うくらい強い力で、僕の頭を自分の胸にひき寄せてこう叫びました。

「がんばれよーっ!!」

 

僕は以前、自分自身が今の仕事に生きがいを持てずにいることを、じいちゃんになんとなく伝えたことがありました。

きっと、じいちゃんはそのことを覚えていて、僕に精一杯のエールを送ってくれたんだと思います。

仕事も人生もしっかり頑張れよ!って。そう言ってくれてる気がしました。

 

僕はこみあげてくる涙をこらえきれず、そのあと病室を出て、トイレにこもって泣きました。

その後、妹たちにも同じように、自分の胸に頭を引き寄せて、それぞれに何かを伝えていました。

 

そこには、この死にたくなるくらいの苦しい状況で、必至に最後のメッセージを伝えようと、力を振り絞るじいちゃんがいました。

やっぱりじいちゃんは鉄人だ、と思いました。

そして「僕たちにこんなに愛情をかけてくれていたのか」と今さらだけど実感しました。

 

この日、僕はじいちゃんの生きざまを見ました。

 

「じいちゃん、大したもんだ。俺もじいちゃんみたいに頑張るから。また会いに来るからね。」

そうじいちゃんに言って病室を出ました。

 

 

追記)

最近実家でこんなものを発見しました。

IMG_2739

これは我家の家系図なんだけど、興味深かったのは書中にあった、じいちゃん自身の自分史

「両親の思い出」というタイトルで、じいちゃん自身の生い立ち・起業までの道のり・そして育ててくれた両親への感謝の気持ちが綴られていました。

書中には、僕の知らなかったじいちゃん自身の歴史が事細かに書かれていて、すごく興味深い内容になっていました。

  • 一流の商売人だった父親にたいそう可愛がられて育ったこと。
  • 子ども時代の着る服はすべて注文服だったこと。
  • 当時珍しかった自転車も3歳児で既に乗り回していたこと。
  • 幼少期は非常に体が弱かったこと。
  • リヤカーの上に乗せられて木炭の売り子をしていたこと。

 

じいちゃん、いつの間にこんなもの作っていたんだろう…。幼少期だけを切りとっても、僕の知らなかったじいちゃんがこんなにいました。

 

だから次にじいちゃんに会ったとき、この年表を持っていって、昔話を聞かせてもらうのを楽しみにしていたんですけどね。

 

ちょっと会いに行くのが遅かった。

今のじいちゃんは、うまくしゃべることができないし、この苦しい状況だからそんな余裕もない。

なんで今までもっと色んな話をしてこなかったんだろう、って今更後悔しても遅いよね。ごめんねじいちゃん。

 

でも近々また会いに行くから。できればそれまで待ってて欲しいです。

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SOHTARO
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