- 大手上場機械メーカーのエンジニアとして新卒採用
- 充実の年収・待遇・福利厚生
- 8年目で資産1,000万円は余裕でクリア
すべては計画通りさっ…(´∀`*)ウフフ…なんて予定だったのですがね(笑)
僕自身、工学系の大学院まで出ておきながら、それから8年後の今、牛の乳搾りやってるとは夢にも思いませんでした。
世の中には時折こんなふうに、クレイジーでエキセントリックな生き方をしてる不適合者がたまにいます。
ということで今日は、僕の人生観を根底からひっくり返した「あの日の出来事」について振り返ってみようと思います。
【はじめに】この記事を書いた理由
この記事は「一見すると学歴と肩書だけは良かった若造が、会社組織に適応できずに凋落、自ら棺桶に片足を突っ込むまでの経緯」を回想するものです。
一応まえおきしておきますと、同じ悩みを抱える人に生きるパワーを…とか、僕の辛さを共有してほしい…というような想いは全くなく、ただただ自分のカッコ悪い過去を振り返るだけの記事です。
強いてこの記事の意味を挙げるとすれば、「僕のプロフィール」みたいなものです。
「ああ、この人不適合系なんだ」ぐらいに思ってもらえれば本望です(`・ω・´)笑
当時の心理&行動をできるだけ生々しく描写しているので、少し引いちゃうかもしれません、、、なのでそういうのがノーサンキューな人は、このページから離脱してもらった方がいいと思いいます。
- そうたろはなぜ何度も転職してるの?
- なぜ理系院卒なのに乳搾りやってるの?
- なんでブログ書いてるの?
そんな答えの原点にあるのがこのXデーの出来事。
一応誰にも言わずに墓場まで持っていく秘密にするつもりでしたが、僕自身が一歩前に進める気がするので自分のために書いてみました。
そんな身勝手な自己満記事ですが、よければどうぞ…(´・ω・`)
入社してからうつ病になるまでの経緯。
「院卒機械エンジニア」
世間一般的には、そこそこ恵まれた学歴・肩書、とでもいうのかな。(当時はそんな感覚なかったけど、それを捨てた今だからこそ分かる気がします)
高圧的な上司に精神面をボコられる
新卒入社したのはそこそこ大手の機械メーカー。
で、僕の直属上司となる人が、なぜか巨大ピアスにモヒカンパーマという風貌だったのですが、まーそんな外見はどうでもいいとして、とにかく一番問題だったのはこの人の人間性。
- 言い方きつい
- やり方教えない
- 教え方下手くそ
- 話し方早過ぎ
- こっちの話聞かない
まーとにかく自分の言いたいことだけ言って、こっちの理解度とか疑問点とか全部ムシって感じで、マジでこの人とのコミュニケーションは絶望的な感じでした(笑)
フィーリングとか感覚で仕事するタイプのようで、僕のような一個ずつ着実に理解・習得していく人間とは、対極にいる人間でした。
確かにこの上司は仕事がよくデキましたが、人を育てることは下手くそすぎたみたいです。
この人とのコミュニケーションで苦労してた人、結構いましたので。
持病の対人恐怖症と適応障害を恨む日々
これは僕自身の問題なんですけど、昔から人とコミュニケーションとるのが苦手なのと、感受性が強いせいで新しい環境に馴染むのが極端にヘタなんですよね。
ちなみにそういう人間はHSP(Highly Sensitive Person)とも言われますが、そもそもそのことをネガティブに捉える必要は全然なくて、その人の素敵な「個性」なんですよね。
でも当時の僕は23歳の若造であり、そんなポジティブシンキング術も処世術も持ち合わせておらず、会社にいるときは、例の上司のせいで常に悪い緊張感で満たされてました。
ずっと上司の反応が気になって、正しい状況判断ができなかった。
少しでも威圧的な対応をされると、たちまち委縮して仕事が手につかなくなっちゃうみたいな。
怒られるともう頭真っ白。返す言葉も出てこないし、体も動かなくなる(こういうのをパニック障害っていうのかな?)。うまくリアクションできない僕を見て、上司はさらにイライラを募らせてたな。
デキる人ならここで上手く切り返すんでしょうが、僕はリアクションできずにうつ向いたまま。
そんな自分に悔しくて情けなくて吐き気がするんだけど、自分ではどうすることもできない。お手上げ状態なんですよね、こういう状況になると(^-^;
仕事で結果を出せないストレス
入社当時の僕は、新製品の生産条件を確立するという業務を担当していました(いわゆる生産エンジニアってやつですね)。
工場にある製造マシンを使って、試作テストを繰り返しながら、ベストな生産条件を追い込んでいくんですけど、これまた笑っちゃうほど上手くいかない。
かなりイレギュラーで複雑な製品形状だったのもあるんですが、テストを繰り返すほど、ゴールのない迷宮に迷い込んでいく感じ。
結局、ミッションクリアするまえに僕がうつ病になったので、この件は上司に引き継ぎました。
ちなみに上司に引き継いだあと、生産立上げされましたが、その後も品質が安定しなくて、ちょこちょこ不良品出てましたね。
ていうか、そんなD難度の立上げとか新人にやらすなよ(`・ω・´)って今となっては思うんですけどね(笑)
人生史上味わったことのない精神状況。これがうつ病ってやつか
入社して3か月くらい経つと、仕事から帰宅しても、休日に出かけても、上手くいかない仕事と人間関係が頭から離れず、常にボーっとしてましたね。ずっと徹夜明けが続いてる感じ。
眠りは浅いし、寝ても悪い夢見るし、食欲は落ちる一方だし。
出社前は毎朝吐いてました。
僕はメンタル弱いくせに、外っ面は強がっちゃうバカ野郎なんで、精神的に追い詰められてたことは、当時付き合ってた彼女含めて誰にも言いませんでしたね。
そのかわり、部屋を真っ暗にして泣いてました。風呂や布団の中でも。
もう少しで自分の心が壊れてしまう。そんなギリギリの状態だったように思います。
僕は生まれて初めて自傷行為に及んだ
ある休日の朝、部屋をキレイに片付け、親に電話して他愛もない会話をし、バイクにまたがり、前日に下見していた「その場所」に向かいました。
目標の100mほど前でいったん停止し、そして一気にアクセルをひねりました。
最後に確認できたメーター読みは法定速度を超えてましたが、僕は何かに取り憑かれたようにアクセルをひねり続けました。
そして「目標」に向かって突き進みました。
衝突直前に対向車が見えました。ああ、これで僕がもし死んでも発見してくれると思いました。(←超迷惑ですよねw)。
その瞬間は、鉄板で殴られたような衝撃とともに、体が宙に投げ出され、そして地面に叩きつけられました。一瞬の出来事でした。ずっと脳ミソがグラグラと揺れてました。
とりあえず生きてました。
「あ~、意外と死なないもんだな…」などと、親不孝なことを考えてました。
おそらく衝突直前にみた対向車の人でしょうか。パニくった声で「救急車~っ!!」って叫んでる声が聞こえました。
転倒したバイクのアイドリング音がしばらく響いていましたが、燃料供給が途切れたのか、ゆっくりと停止していくのが分かりました。
なぜこんな馬鹿なことをしたのか
いわゆる自殺願望、とまではいかないものの、ただただ会社生活から逃げ出したい。それが動機でした。
バイクで事故るより、病院行って診断書もらって療養したほうが遥かに合理的なんでしょうが、それが僕にはできなかった。(打ち所が悪ければ死んでましたね)
というのも、うつ病になって長期療養なんて、僕のちっぽけなプライドや見栄がそれを許さなかったんです。
両親に余計な心配をかけたくなかったというのもあります。
僕は精神患者にはなりたくない。それなら事故を装って入院してたほうがとりあえず世間体は保てる。なんて馬鹿なことを考えてましたね。
生き方や価値観を変える必要がある
結局3週間くらい入院しました。(幸いなことに、被害は打撲と捻挫だけですみました)
両親や同僚が見舞いに来てくれましたが、心配させたくなかったので、本当の事故原因は言えませんでした。
一歩間違えれば、死んでてもおかしくない事故でしたが、自分がこうして生きている意味を僕はずっと考えていました。
ただ正直なところ、このまま職場復帰してもまた精神を病んで、何をしでかすか自分でも分からない状況なのは確か。
だからこの会社で働き続けるという選択肢は捨てました。
僕はどうやら人と密接に関わり合いながら仕事をするのがとても苦手なようだ。そして自分のペースと裁量で進められる仕事の方が合っているのかもしれない。
病院のベッドから天井を見つめながら、農業への転職を本気で考え始めたのはこの時期です。
投稿が見つかりません。
墓場まで持っていくはずだった人生最大の失敗を笑って話せるようになった今がある!
あの事故から7年。
結局僕は、機械メーカーを3年勤めた後に、農業に転職しました。(うつ病になったのが1年目、そこから何とか騙し騙しでその会社に3年間居続けました)
農業とは言っても会社の雇われ。雇われてる以上は、コミュニケーション回避できないので、転職の度に人間関係には悩まされましたが。
が、まあ色々ありましたけど、今はこうしてそこそこ楽しく生活できています。それこそ笑ってブログネタにできるくらいにね(笑)
もちろんあれ以来、自分を傷つけることもありませんよ。
さいごに。自分にとっての生きること・働くことの意味って一体なんだろう?
結局僕は世間一般で言うところの(?)、負け組院卒になりました。
大学で学んた知識や技術はほとんど生かすことができず、エンジニア人生をドロップアウトしてしまったので、そう言われても否定はしません。
今でもたまに、あの会社に残っていたら今頃どうなっていたかな?と考えることがあります。
もしかしたらメンタルの弱さを克服して元気にやってるかもしれないし、もしかしたら既にこの世から消えてるかもしれない。
まあでもね!
そんな事は今さらどうでも良くて、こんな社会不適合者でも大事な家族ができて、牛の乳搾りしながら勤め人やって、元気にブログで創作活動してる。
自分なりの働き方を見つけて、しっかりと今を生きてる。
その事実が一番大事なのかな、って思うようにしています。
そしてそれが最低限の親孝行なのかな、とも。
人生はまだ長い。平均寿命まではあと50年もある。
どうせ死ぬなら自己満でもいいからアートな人生を謳歌して死にたい。果たして自分はどんな作品を残せるかな。
そう思えるようになったことが大事だと自分に言い聞かせ、今、新たなスタートラインに立っている。そんな気がしてるんです。
コメント
コメント一覧 (28件)
とても共感します。
私も情報工学部出身で新卒入社したIT会社を1年で退職してしまいましたから。
SOHTAROさんはとても優しい人ですね。
あまりご自分を責めずに、もっとご自分を大切にしてください。
ご両親はSOHTAROさんが毎日つらい思いをしながら仕事するより、イキイキしながら生活してくれることを望んでいらっしゃると思います。
アートな人生、いいですね!
これからも応援してます(^^)
温かいお言葉、ありがとうございます。
一時はどうなることかと思いましたが、世の中どうにもならない事ってそうそうないことが分かりました。時間は偉大です…。
たまひろさんも工学のご出身だったのですね。
お互い元エンジニアっぽく、ワガママに&独創的にアウトプットしていけるといいですね^^♪
はじめましてnakatiと申します。
自分も理系大学院出身ですが、「今の仕事にその経験が活かせているか?」と言われると
全然活かせていないのでとても共感できます。
でも、紆余曲折あっても前向きに今を生きているならば、ご両親もきっとお喜びだと思いますよ。
(自分も最近親になったのですが、子供はやっぱり健康が一番だと思います)
仕事で悩んでいる自分の状況と重なったので思わずコメントさせて頂きました。
エクセルの家計簿もこれからも参考にさせて頂きたいのでまたちょくちょく見にこさせてもらいます。
多分同い年だと思いますので、これからもよろしくお願いします!
コメントありがとうございます。
正直この記事は公開しようかどうか悩んだのですが(黒歴史すぎる&しかもブログ趣旨に関係ない…w)、nakatiさんのように共感してもらえる方がいるのであれば、少しは報われた気分です…^^;
マスター出身だからこそ、理想と現実のギャップに悩まされる気持ちは痛いほど理解できます。僕は3年で異業種に転職してしまいましたから、nakatiさんのように踏ん張っている姿は僕には眩しく映ります。
仕事の方向性は違いますが、おそらく同い年ということですから何かと共有していけたらいいですね!
こちらこそこれからも宜しくお願いします。^^
はじめまして、院卒⇒メーカ勤務一年目のsimです。
職場環境(雰囲気)と知識不足から、求められるレベル・ノリとのギャップに苦しんでおります。そんな中このページにたどり着きました。
感受性が強い、コミュ下手…の点などの性格面がそのまんま自分だったので、びっくりしてしまいました。私も資産運用や静かにシンプルに生きるのが好きなので、SOHTAROさんとは非常に似た思考を持っているかもしれませんね。
私はまだ働き始めたばかりですが、自身の得意・不得意なことをようやくわかり始めました。SOHTAROさんの生き方は参考にさせていただきたいと思います。
はじめまして。コメントありがとうございます。
共有共感してもらえる方からコメントは本当に心が温かくなります。ダサい半生でしたが、思い切って記事にして良かったと思いました。
僕も7年前の今、まさにsimさんのような心理状態でしたのでお気持ちお察しします。職場の雰囲気や業務の波に乗り切れない時間ほど辛いものはないですよね。自分の意志や能力では打破できない状況って本当にもどかしい…。
ただsimさんは既にご自分の得手不得手を理解しているようですから、その点は強みだと思いますよ。僕なんてそれが分かるまでに何年もかかりましたから。w
辛いときは遠慮なく周りを頼ってください。僕が言うのもなんですが、ご自身を一番大切にしてくださいね。
時間はかかるかもしれませんが、一緒に理想の働き方・生き方を実現していけたらいいですね。^^
初めまして、「うつ病 農業」で検索して読ませていただきました。
sohtaroさんの記事を読んで、大変驚きました。
というのも私自身も似たような境遇というか、そこそこ有名な国立大を出て銀行員になったのですが、うつ病になって休職しているんです。
そしてまさに昨日、かつて銀行で新規融資を担当した農業生産法人の社長に会ってきたところだったんです!
そんなわけで勝手にシンパシーを感じてしまいましたが、さきほどの社長のところの農業生産法人への転職もありだと考えていたので、大変参考になりました。
さらにsohtaroさんのような役に立つ内容ではないですが、僕もブログ(ほぼトレンドアフィリ化してますが)をしてたり、
同じように北海道民だったりと、ここまでくると驚きました^_^
ありがとうございます、今後もブログ更新楽しみにしております。
鬱リーマンさん、はじめまして。
そこまで共通点が多いとは・・・。僕も正直驚いています。
農業は良いことばかりではないですが楽しいですよ。
ある程度、業務がルーチン化しているのと、単独作業も多くて人間関係に消耗することが少ないので、前の職場よりは楽に働けていますね。
鬱リーマンさんの休職に至るまでの経緯を書いた記事も読ませていただきました。
患っているときの心情とか症状が、すごくリアルに描写されていて惹き込まれますね。なんだか当時の自分を客観的に見ているようでとても共感しました
また奥様の優しさにジーンときちゃいました。僕も妻を大事にせねばと思いました^^;
サイトを拝見しましたところ、ジャンルは違えど、かなり運営実績を残されていそうな印象を受けます。同じブロガーとして、僕も参考にさせてもらいますね。
こちらこそありがとうございました、今後ともよろしくお願いします^^
はじめまして。
自分もいまIT企業でしんどい状態で辛いので、このブログを読んで自分だけじゃないと安心しました。ありがとうございます。
Pykiさん、コメントありがとうございます。
僕もこの記事を書いてから気付いたのですが、”同志”は案外たくさんいるものと思われます。
ちなみに僕は昨日、職場でゴタゴタがあって軽いうつ状態です(思い出しただけで反吐が出そうなくらい腹が立つ・・・)
お互いあせらず、ゆっくり前に進んでいきましょう。
拝見させて頂きました。
現在休職中で、sohtaroさんの状態と全く同じで非常に共感を持てました。
(異業種からの転職で自動車部品メーカーの技術系勤務中です。)
やはり人それぞれ適正があって、向き不向きがある事、同じように悩んでいる形が居る事が分かり、励みになりました。
労働は対価を得る手段なので、自分自身が疲弊したら意味ないですよね…。
適応障害の地方民さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
休職に至るまでの経緯、きっとお辛いことがたくさんあったのだと思います。
おっしゃる通り、人それぞれ適正がありますから、仕事の向き不向きもあって当然ですよね。
世間体とかプライドとかお金の問題など(僕の場合ですが)、色んな障壁はあると思いますが、どんな選択をするにしても、自分自身が幸せだと思える働き方を見つけることが、とても大事なことなのかなと思います。
まずはお休みの間、ご自身をしっかりいたわってあげてください。
ひとりで抱えきれないことがあれば、僕でよければお話聞きますので、遠慮なくメッセージくださいね^^
僕は転職を繰り返して自分の働き方を模索してきましたが、実はいまだに今の仕事に満足できていません。
お互いにゆっくり少しずつ歩いていきましょう。
sohtaroさん、コメントありがとうございます。
この仕事に就くまで、転職を繰り返して騙し騙しやってきました。(sohtaroさんは、その点3年間しっかり勤めている点、尊敬しております。)
やっと自分の人間性について再認識でき、変なプライドを捨てて自分なりの生き方を模索していきます。
かなり遠回りにはなりますが、少しづつ前向きに進んで行きます。
僕の3年間も騙し騙しですよ(笑)
1年目の事故で入院し、その後に職場復帰するとたまたま担当業務が変わっていて(=ストレスが少なくて働きやすかった)、ちょうど3年目の終わり頃に本来の業務に復帰しなくてはならなくなり、そのタイミングで辞めましたから。
「本当の自分」を認識するってことは、簡単なようで、実は難しいことだと思います。
それができる地方民さんは、きっと少しずつ好転していくと思いますよ。
いろんな事がありますが、お互い無理せず牛歩戦術でやっていきましょう~。
初めまして。私はしんぺいと申します。
私は、約2年前まで地元のJA(農協)で働いていました。元々広汎性発達障害があり人とのコミュニケーションや注意集中の困難さや思考の整理の苦手な特性があります。
そのような特性がありながらもJAで障害者雇用で8年間、共済事務の仕事をして来ました。
ですが、二次障害や燃え尽き症候群を理由に退職してしまいました。
その後、地元の地域振興局の総務の仕事に就きましたが、元々熊本地震による緊急雇用対策のため1年間の限定雇用でもうすぐその任用期間も終わってしまいます。
やがて1年近く経ちますが、雑務ばかりで仕事に対してやりがいがないのと、活気のない職場環境なのでどんどん気力が低下していってます。
もう一度面接を受ければ再任用になる可能性もゼロではありませんが、熊本もだいぶ復興してきたので今の職場での自分の役目は終わったと思うし今の職場にいたらどんどんダメになっていく気がしているのでもっとやりがいのある仕事=JAを退職した時に考えていた農業に関わる仕事に就きたいという気持ちもあります。
しんぺいさん、はじめまして。
コメントいただきありがとうございます。
8年間も事務をされていたのですね。しかもJA・・・。僕ならすぐに音をあげてしまいそうです(^^;
僕が農業に転職したのは、しんぺいさんと同じように仕事にやりがいを求めたかったからです。
仕事をする意味、ひいては自分が生きる意味を探し求めていたんだと思います。
僕が羊飼いをしていたのは1年にも満たない短い間でしたが、人間界とは隔絶された山奥で、ただひたすら命や自然と向き合っていると、その答えが少しだけ見えたように思えました。
月給16万でほぼ休みなしの職場でしたが、振り返ってみると、僕の人生においてターニングポイントになった大切な時間でした。
あまり無責任なことはいえませんが、農業には人生を前向きにしてくれる不思議なチカラがあると思います。しんぺいさんにとっても、次の職場がそんな存在になって欲しいと願っています。
初めまして、ブログ拝見しました。
私も向かないと分かっていながら、仕事を続け、人間関係が上手くいかないこともあり、うつ病を患ってしまいました。
現在まで騙し騙し働いていましたが、症状が悪化し、このままではマズいと感じ、なるべく人と関わらない仕事がしたいなぁと、ネットで農業求人を探している時にsohtaroさんのブログを見つけました。
失礼ながら、自分の性格はとてもsohtaroさんに似ているような印象を受け、特にHSPのお話は目からウロコでした。
うつ病の症状のせいかもしれませんが、良さそうな求人を見つけても、また人間関係上手くいかないのでは?農業は不安定そうだけど大丈夫だろうか?
などの不安から身動きが取れずにいます。sohtaroさんは転職に際し、そのような葛藤はありましたか?
takuさん、はじめまして。
記事を読んでくださったのですね、ありがとうございます。
人間関係に悩まされるお気持ち、よく分かります。自分の過去についつい重ねあわせてしまいますね…。
僕の場合は、記事にもありますように、最初の転職は機械エンジニア⇒めん羊生産牧場の従業員でした。
めん羊牧場は、従業員2名の小さな会社であり、僕+僕より5歳くらい若い兄ちゃんの2人で業務をこなしていました。
実は転職する前に、この牧場を一度訪問しており、社長を交えて、給与体系や業務内容のお話、牧場見学や従業員紹介(件の兄ちゃん)などをしていただきました。
この訪問により、当初不安だった人間関係や業務内容については、多少和らいだことを覚えています。
(ちなみに若い兄ちゃんは外見は怪しかったのですが中身は良いヤツでした笑)
転職に対する不安や葛藤は全くないといったらウソになりますが、僕の場合は病気のせいで一度死にかけているので、エンジニアを続ける選択肢はありませんでしたね。
とにかく生きるためには「働く環境を変えるしかない」という答えが出ていたので躊躇なく転職しました。
農業なら、自然や動物相手に仕事することの方が多いので(=人付き合いが少なくて済む)、何とかなるだろうという楽観もありました。
転職後の給与に関しては、月収16万と急落したわけですが、これはもう割り切りですね。
最低限の貯蓄はありましたし、目途が立てばもう少し待遇の良い会社に転職しようと考えていました。
とりとめのない文章になってしまいまいたが、一番伝えたいのは、まずは気になる会社があれば一度訪問してみることをオススメします。
気になることを質問しつつ、職場の雰囲気を体で感じ取ってみてください。
ケースバイケースかもしれませんが、うつ病の経験や人付き合いの不得手なども正直に話してみるのも一手かもしれません。
その反応によっては、その会社で働いていけるかどうかの判断材料になりますので。
長文すみませんでした。
少しでも参考になれば幸いです。。m(__)m
丁寧なお返事ありがとうございます。
そうですよね、実際に自分で確かめないと分からないことってありますね。今の職場も入ってみて、やってみて自分には不適な職場であることがわかりました。自分の目で確かめるときっと求人票だけでは見えてこないものもあるんでしょう。
マイナスの感情でする転職は良くないと一般論で言われたりしますが、それでも、やはり病んでしまったら元も子もないですね。sohtaroさんの経験を知り、自分だけではなかったんだなぁというのが心強いです。的確なアドバイスを頂けて感謝しています、少し肩の荷が下りたような感じです。
偉そうなことは言えませんが「自分を幸せにできてはじめて周りの人を幸せにできる」というのが僕の持論です。
自分が幸せになるために必要な判断であれば、周りの人にどれだけアドバイスや助言をもらおうが、躊躇なく実行すればいいと思います。
そしてぶっちゃけ僕は、羊飼いに転職した理由はほぼ現実逃避でして、先行きなんて考えていませんでしたが、今もこうしてちゃんと生きています。
たとえマイナス感情でも、明確なビジョンがなくても、そうやって真剣に自分と向き合ってきた時間が大切なんだって自分に言い聞かせています。
時間がかかったとしても、takuさんが納得できる選択肢がみつかるといいですね。お互い適度に頑張っていきましょう。
それではまた^^
takuさんはじめまして、こむぎと申します。
ブログ興味深く拝見させていただきました。
職場での体験、身のつまされる思いでした。
私は大学2回生の時にうつ病になり
休学を繰り返し7年目に大学を中退しました。
その後は、アルバイト、派遣、など色々なところ
を転々とし先が見えず今ももがいている最中です。
農業をされてると読んで
「お日様に当たって仕事。
健康的に働けそうでいいな。
セロトニン出るんだろうな〜。」
なんて変なこと考えながら読んでました笑
そんな道もあるんだなと
心がふっと緩みました(^^)
こむぎさん、はじめまして。
コメントいただきありがとうございます。
僕の今現在の業務担当は「育成牛のお世話」なのですが、産まれたばかりの仔牛に哺乳したり、餌を食べさせたり、掃除をしたりしています。
懐いてくれる仔牛はとても可愛くて、頭をスリスリしてきたり、指に吸い付いてきたりします。
基本的に「対人間」ではなく、「対仔牛」の時間のほうが長いので、癒されながら仕事をしています。
が!
職場の人間関係のストレスが全くないわけではなく、上司の顔面をぶん殴ってやりたくなる時もあります(今日もあった笑)。
なんというか、こういうストレスが定年まで続くのかと思うと、やるせない気持ちになりますが、、、
こむぎさんから頂いたコメントを読んで「悩んでるのは自分だけじゃないんだよな」ってことを思い出し、少しだけ元気がでました。ありがとうございます(^-^)
お互い仕事の悩みは尽きないかもしれませんが、少しでも健康的に働けるよう願いつつ、牛歩で歩んでいけたらいいですよね。
僕も似たような理由(人間関係)で酪農に転職を決めました。愛知県の方になりますが。
このブログには大変勇気づけられました!
モイさん、はじめまして!
同じ酪農マンなのですね、、、僕はこの仕事に転職して7年目になりますが、牛の方が人間よりずっと付き合いやすいと思います(笑)
(たまには凶暴な奴もいて困りますが…)
マイペース更新なブログですが、そういってもらえてとても嬉しいです(*ˊ˘ˋ*)♬
はじめまして。私は最近までとある公務員をしておりましたが、人間関係から自ら命を絶とうとし、結局、退職をしてしまいました。
そんななか、私が今後やっていきたいことを考えていた際に、酪農などはどうなのかと思い、こちらのブログにたどり着きました。
正直、まったくの未経験でできるものなのか、今後どうやって生きていこうか毎日不安で仕方ありませんが、少し勇気をもらうことができました。
ありがとうございます。
やまねこさん、コメントいただきありがとうございます^^
大変なご苦労と、辛いお気持ちをされてきたことと思います。
僕自身も、もう10年以上前のことになりますが、いまでも当時の職場のことは今でも思い出したくないことがたくさんありますし、人間関係が得意ではない性格は変わっていないので、今でもなんだか生きづらいなって思うことは時々あります・・(^-^;)
そうはいっても、一生遊んで暮らせるほどの大金が宝くじで当たることもないし、開業して自力で稼げるほどの能力もないので、結局今もサラリーマンを続けております。
酪農という仕事についてですが、牛や自然相手に仕事をすることが好きな人であれば可能性はあります。
ただどんな仕事でもそうですが、これは実際にやってみないとわからない部分ですよね。
酪農に従事している僕がいうのもなんですが、一次産業のなかでも、酪農はいろんな面でハードな仕事かもしれません。
なかでもやはり、早朝と夕方(夜)の搾乳作業がある分、体力も必要ですし、タイムスケジュールが他の仕事とはちがって特殊なので、カラダをそれに順応させる必要があります。
そういう意味では、他の畜産業や畑作などのほうが、勤務の時間帯がサラリーマンに近いのは優位なのかなと思います。
(若い時は感じませんでしたが、40に近づいてきたこともあり最近そんなことを感じます。。)
畜産や畑作はほとんど経験したことがありませんが、もし今タイムスリップして職業選択をするとしたら、そちらの道を選んでいたかもしれません。
僕のような人間の書いた記事が、すこしでも勇気の足しになるのでしたら、恐縮ではありますがとても嬉しいことです。
今の仕事についてからも、何度も嫌になることがありましたが、ときには弱音を吐いてときには現実逃避して、のらりくらりと続けてくることができました。
この先どうなるのだろう、と思うこともありましたが時間が解決してくれることも多かったです。
ぼくはやまねこさんのお気持ちが痛いほどわかりますので、かんたんに頑張ってくださいとはいえませんが、少しでも良い方向へ向かい、穏やかに過ごせる日々がきますように全力で応援させていただきます。
返信していただきありがとうございます。
少し似たような境遇を過去にされている方が、別の生き方をしているということを知れてとてもよかったです。涙が出ました。
酪農も一つの選択肢として、いつかこのつらい記憶を笑うことができる日が来るように祈りながら生き方を模索していこうと思います。
ブログこれからも頑張ってください、陰ながら応援しております。
やまねこさん、なにかありましたらブログのコメント欄でもいいですし、ツイッターのDMでもいいので、お気軽にコメントください。
酪農をはじめ、農業に関する就職先でしたら、個人的な判断基準にはなりますが、良いと思うところを何箇所かリストアップできますので、必要に応じて使ってください。
その他、お役にたてるかわかりませんが、自分の経験談でよければお答えしますのでどんな件でも気軽にどうぞ!
ゆっくりでも、立ち止まっても、後戻りしたって大丈夫ですし、人生どうにかなることの方が圧倒的に多いと思います。
一緒に自分たちのペースでやっていきましょう^^
自分もマイペースながらブログ続けていこうと思います。